※記載されている学年は取材当時のものです。

私自身も生産工学部の卒業生でした。もともと日本語を話せる両親のもとに生まれ、小さい頃から中国儒教思想の教育を受けながら、日本文化もよく聞かされました。往時はインターネットなどありませんでしたから、自分で情報を集め、生産工学部機械工学科の門を叩きました。現在は台湾でマイクロレンズアレイ(微細なレンズを多数集積させた光学部品)の開発プロジェクトなどに携わっています。でも、息子が志した日本大学生産工学部への進学は、私が薦めたわけではないんですよ。

留学時代の楽しかった思い出をよく話していたので興味はあったのでしょうが、自分の意志で大学を選んでほしいと思っていました。「ぼくはお父さんの後輩になりたいんだ」。息子からそう聞いたとき、とても嬉しかったことを覚えています。あれから4年。彼は随分と成長しました。何事も突き進むタイプでしたが、今では計画を立ててから行動するようになりました。

30年ほど前、台湾からの留学生は私を含め10人程度。休暇に里帰りできず、寂しい思いをしていた留学生もいました。そんな私たちを気遣って、夏休みと冬休みに合宿旅行に誘ってくださったのが機械工学科の大谷利勝先生です。大谷先生にはいまだに感謝しています。現在の私が社会に自分の力を貢献できているのは、大谷先生をはじめとする機械系の先生達から貴重な知識および人生経験を教わったおかげです。息子にも多くの先生方や仲間との出会いがあり、先輩後輩との絆を育む機会があったと思います。人と人が助け合い、人が成長していくにはぴったりな場で、今後も幅広い知識を身につけ、成長を続けてほしいと願っています。

将来グローバルに活躍したいと考えていたぼくは、中学3年生になると、誰よりも早く起きて勉強し、家族みんなの朝食を作りました。「一人暮らしでも大丈夫!」をアピールしたかったのです。その後、海外で働くには英語力も必要だとアドバイスを受け、高校は単身カナダへ。やがて、父の母校である日本大学生産工学部への進学を意識するようになりました。技術力に秀でた日本で学ぶアドバンテージは高く、父と同じ生産工学部で学びたいと考えるように。理系は国籍や文化に関係なく活躍できて限界はないと思えたのです。なによりも父を越えたいという強い思いがぼくを突き動かしました。

その後、4年間にわたって環境工学を学び、今年から大学院で機械工学を専攻しています。あえて2つの分野を跨いで学ぼうとした理由は、環境にやさしい機械設計、エネルギー効率に優れた機械開発が、これからの社会にとって必要不可欠だと考えたからです。最近では、自身が所属する研究室での活動に加え、さまざまな学会やシンポジウムなどに参加して、その成果を発表する機会も増えてきました。国際会議では他国の研究者たちの動向や貴重な意見をいち早く知ることができ、とても刺激的です。目標は博士号の取得。

研究者として一人前になり、研究で得た理論を社会に役立てることが、きっとお世話になった先生方や、異国での暮らしを支えてくれた地域の皆さんへの恩返しにつながるはずです。そして、父を越えることがなによりの親孝行になると信じています。