また,選手村には選手のコンディションを整えるためにトレーニングルームが設置されており,それぞれ自由に活用できるのであるが全ての器具と器具の間には間仕切りが施されていた。(図5,図6参照)私は,選手村に比較的近い周辺一帯の民間ホテルで生活をした。他国・他競技の指導者も多数滞在しており,早朝から深夜まで選手村とのシャトルバスが30分おきに運行されていた。朝食以外の食事は選手村へ出向いて摂ることになる。また,練習会場や試合会場へはバスで向かうことになるのだが,バスの発着は全て選手村からとなるためバスを使う全ての移動は選手村を経由してからとなり少し手間がかかったが苦になるほどではなかった。バスでつながれた選手村の一部という位置づけというような感覚である。ここでも感染対策は徹底されており,おびただしい数のアルコールスタンドはすでに見慣れたが,食事はほとんどの食材は図7,図8のように個包装されており,スープなどもインスタントタイプのものを自らお湯を注いで作るというスタイルであった。テーブルには当然ながら間仕切りがされており全員が同じ方向を向いての食事であり,きれいで広めの食事会場は会話がほとんど聴こえずナイフ図5 トレーニング器具も間仕切り図6 トレーニング器具も間仕切り─ 20 ─とフォークなどの食器の触れる音が響いているのが際立った。1年間の延期という今までに例を見ない形で何とか開催にこぎつけた感のある東京大会であったが,皮肉にも,競技を支える60名以上の補助役員の技量が打ち合わせやリハーサルに費やす時間ができたことにより飛躍的に向上し,IWFの役員等から試合運営に対して高評価を得ることとなった。筆者自身,初めて五輪に携われることになったのだが,そこはさすがにオリンピックである。他の国際試合では感じられない各国の意気込みがひしひしと伝わってきた。こちらとしても地の利を活かして複数メダルの獲得を目標に取り組んできたが,結果は健闘したものの女子59kg級安藤選手の銅メダル1つであった。ウエイトリフティング競技としては3大会連続でメダルを獲得できたわけではあるが,これは女子選手の獲得であった。今大会は男子で1984年のロス五輪以来のメダル獲得を目標としていたが,あと一歩及ばず2024年のパリ大会へ持ち越しとなった。懸念されていたドーピング問題であるが,図8 ある日の筆者の朝食(全て個別包装)図7 個別包装の食材4.おわりに
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