生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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る。井上は直ちに久保山火葬場の飛田美善場長に聞き取りを行い,飛田から横浜市内の埋葬地から掘り出されたとする刑死者遺体を土の付いたまま火葬したことがあるとの証言が得られたとされる31)。ところで,この飛田が証言した刑死者遺体の火葬情報は,A-1文書第2項にあるように本来は極秘事項である。では,なぜ飛田がこのような情報を知り得たかというと,飛田によれば,久保山火葬場は1945年10月から1948年4月1日まで米軍に接収されていたが,接収中も飛田ら日本人職員が火葬場に勤務し続けており,その間も一般市民や米軍関係者の火葬業務に携っていたという。そして接収解除後も「米兵扱い」の遺体搬入があり,日本人職員の間では,そのなかにスガモプリズンの刑死者遺体が持ち込まれていたことは当時から気づいていたとされ32),飛田が井上に行った証言はこのような火葬業務上で知り得たものとされる。なお後述するが,この飛田は1948年12月23日の東条ら7名の火葬作業に携わった人物として知られている33)。この飛田らの証言に基づく井上の調査概要は,『嗚呼殉国六十烈士』というスガモプリズン刑死者の慰霊団体が刊行した文献に詳述されている。それによるとまず井上は火葬場の操業記録簿である火葬台帳を手掛かりに,(1)「米軍扱い」として搬入された遺体の火葬日と,(2)スガモプリズンでの戦犯処刑日の照合を行っている。その結果,A-1文書が出された日以降は,(1)と(2)の両者の日にちがすべて一致し,火葬場に搬入された遺体数とスガモプリズンでの刑死者数も一致したという34)。具体的には,マニラ法廷で銃殺刑宣告を受け,スガモプリズンに移送されていた尾家刢大佐の処刑が,A-1文書が出された同じ日にあたる1948年10月13日に,東京・六本木の米軍射撃場で行われている。この“10月13日”に関して久保山火葬場の台帳には,「米国人」1名の遺体の搬入があったことが記録されており,井上はこの搬入遺体が尾家のものとしている。さらに井上によるとこの10月13日には,これとは別に14体もの「米国人」とする遺体搬入の記録が火葬場台帳上確認できるとし,井上はこの14体の遺体が1948年10月13日以前に処刑された刑死者遺体の可能性を指摘している(なお井上は,14体のうち1体は戦犯刑死者ではなく,敗戦直後に北海道で駐留米兵を殺害し,米軍軍法会議で死刑宣告を受けた人物の遺体と推測している 35))36)。この井上の調査概要を読む限りA-1文書そのものに対する言及がないため,井上自身はこの文書の存在を把握していなかったようだが,井上によるこの調査概要からしても,米軍がA-1文書第4項の指示通りに埋葬済みの13名の刑死者遺体の掘り起こしを行った可能性がかなり高いと考えられる37)。因みに,共同通信社の野見山剛記者が2021年に行った調査では,東京・永田町の国立国会図書館が所蔵するGHQ資料の複写物(マイクロチップ資料)のなかに,1948年8月21日にスガモプリズンで処刑されたBC級戦犯10名の遺体と,そして同じく11月6日に処刑された同2名の遺体の受領書が存在していることを確認している。野見山によれば,この書類の受領者は東条ら7名の遺灰を洋上散布したFrierson少佐であったという。このように,BC級戦犯の遺体の受領者と,東条ら7名の遺体の受領者が同一人物であることから,野見山はBC級戦犯刑死者も東条らと同じ手続きで火葬・散骨された可能性を指摘している38)。また1952年にGHQ法務局のGeorge T. Hagenが井上に対して,BC級戦犯の遺骨も太平洋に散布したとする非公式の説明を行ったとする証言もあるなど39),BC級戦犯も東条らと同様の措置が取られたと考えられる。このようにA-1文書の内容を分析すると,NARAに保管されていた7名の遺体対応に関する資料は,東京裁判だけでなく米軍管轄下のBC級戦犯刑死者にも関わる資料として見て取ることができる。本稿の「はじめに」で述べた通り,A-1文書では「戦争犯罪人」の用語に,「東京裁判の戦争犯罪人」と「横浜法廷の戦争犯罪人」の明確な区別はつけられておらず,さらには第4項が指示する埋葬済み遺体の対応は,明らかに既に処刑されていたBC級戦犯を意識したものといえよう。なおスガモプリズンにおけるBC級戦犯の処刑は1950年4月7日が最後で,その間,1948年8月13日出されたこのA-1文書が最後まで変更なく適用されていたかはどうか,現時点では確認できない。何れにしてもA-1文書が出されたことによる影響はBC級戦犯刑死者にも多分にあったと見るべきであり,このA-1文書資料的性格は東京裁判における刑死者処遇はもちろんのこと,これまで十分に把握されてこなかったBC級戦犯横浜法廷やマニラ法廷の刑死者処遇を把握する上で,重要な資料として位置づけられるものと考えられる。4.2 A-2文書【英文タイトル】Standard Operating Procedure “Final Disposition and Policies Governing Burial and Graves Registration of Executed War Criminals”(標準作業手順書「処刑された戦争犯罪人の埋葬と墓地の登録に関する最終処分と方針」)【日付】1948年12月1日付【発信】第8軍司令部【宛先】スガモプリズン所長【解題】 このA-2文書は書式およびその内容から,A-1文書の指示内容に基づき第8軍司令部が作成したものと思われ,書式上,第8軍司令官Walton Harris Walker中将の命令となっている。上述のA-1文書が遺─ 7 ─

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