生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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捜索であったという22)。このように墓地登録部隊は世界各地の戦場で自国の戦没将兵の遺体を回収し,横浜に駐屯した第108墓地登録小隊も日本国内の捕虜収容所で死亡した米兵や,日本本土空襲で撃墜死した搭乗員の遺体捜索と身元確認作業を行っていた。そのような部隊が1948年12月23日に処刑された7名の遺体対応を行っていたのである。このように東条ら7名の遺体処遇は第108墓地登録小隊が担当したが,その際に用いた指示書や報告書が第8軍資料としてNARAに保管されていた。保管資料の概略は本稿「資料の概況」で述べたが,ここではそれらの文書の記述内容を紹介し,併せてそれらの資料的意義を考えていく。まずはAフォルダの文書から紹介を行い,それぞれの文書に振られた日付順にとり上げる。そして各文書の原文・拙訳及び文書画像も掲載する。4.1 A-1文書【英文タイトル】Final Disposition and Policies Governing Burial and Graves Registration of Executed War Criminals(処刑された戦争犯罪人の埋葬と墓地の登録に関する最終処分と方針)【日付】1948年8月13日付【発信】米極東軍司令部【宛先】第8軍司令官,フィリピン軍司令官【解題】 この文書は米極東軍が作成したもので,書式上,米極東軍司令官Douglas MacArthur元帥(以下「マッカーサー」とする)の命令となっている。主な指示内容は,①A-1文書以前に出された刑死者の遺体対応に関する指示書の取消し(第1項),②今後の刑死者の遺体は需品部の下で火葬を行い,遺灰は秘密裡に海洋散布する(第2項),そして如何なる場合にも日本側に遺体は渡さない,③拘禁中に死亡した者のうち,死刑被宣告者の場合は第2項と同じ措置とし,審理中または未決者の場合は日本側に遺体を引き渡す,④埋葬済みの遺体は掘り起こし,第2項の指示に従って火葬の上,遺灰は秘密裡に海洋散布する(第4項)ということが指示されていた。次にこのA-1文書の各指示内容と資料的意義についての解説をする。4.1.1 A-1文書の資料的位置づけこのA-1文書は米極東軍司令部が隷下の第8軍司令部と米フィリピン軍司令部に宛てたものである。そのため米極東軍司令部ではこの文書を複数部作成したようで,そのうちの1通が第8軍司令部に送達され,そしてもう1通が米フィリピン軍司令部に送達されたと思われる。本稿で紹介しているA-1文書は,その第8軍に送達された文書となる。なお1982年にフクミツ・ミノル氏が公刊した『将軍山下奉文』には,米フィリピン軍司令部に宛てた方のものと思われる資料画像が掲載されており,フクミツによればその資料は1975年10月にNARAで入手し,その前年の1974年に機密解除されたばかりの文書であったとしている23)。管見の限りこのフクミツの著書が,1948年8月13日付けの米極東軍司令部文書を紹介した最初のものかと思われる。ただし同書でのこの文書に関する記述は限られているため,本稿では第8軍資料の文書に基づいて,米極東軍司令部の指示内容を紹介するとともに内容解説を行う。4.1.2 A-1文書第1項の指示内容とその影響A-1文書第1項の内容は前述の通り,A-1文書以前に出されていた刑死者の遺体対応に関する既出文書の取消しを指示したものである。取消しの対象となった文書は,A-1文書第1項自体にも明記されている「米太平洋陸軍総司令部,AG 293(1946年3月13日)QMP,1946年3月13日付けの件名『戦争犯罪人として有罪判決を受け処刑された日本人およびその他の国民の埋葬および墓地の登録を管理する方針』」(以下「1946年3月13日付け指針」とする)となる。現在,筆者の方でこの文書の内容確認はできていないが,上坂冬子氏が公刊した著書のなかで,その内容の一部を紹介している24)。それによるとこの文書には,刑死者の埋葬方法に関する具体的な指示が記されており,刑死者のうち絞首刑の遺体については襟章や肩章などの階級を表す一切を剥がして埋葬し,銃殺刑の場合は階級を表す衣服のまま葬るとすることが書かれていたという。この上坂情報からすると,A-1文書が出される前の刑死者遺体は火葬・散骨ではなく,何らかの方法で埋葬されていたことになる。後述するA-1文書第4項にも「処刑された戦争犯罪人の遺体は,可能な限り早急に掘り出し,上記第2項で示したように処分されることが望まれる」とあることから,当初米軍は,刑死者遺体を墓地埋葬していたと考えるべきで,A-1文書第1項はこのような墓地埋葬措置を取消したということになる。因みにこのA-1文書が出される以前に,横浜法廷とマニラ法廷関係者の処刑が既に行われており,彼らの遺体は1946年3月13日付指針に基づいて埋葬されていたと考えられる。つまりA-1文書は先行して行われていたBC級戦犯の埋葬措置を取消し,さらには埋葬済み遺体の掘り出しを指示しているなど,A-1文書を始めとする第8軍の刑死者対応資料は,東京裁判刑死者だけでなくBC級戦犯刑死者にも関わる資料といえるのである。なお,このBC級戦犯の刑死者処遇の詳細について─ 5 ─4.文書解題

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