生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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37) この刑死者遺体の掘り起こしについて,上坂は著書のなかで,その事実があったことを断定している。因みに上坂はA-1文書の内容を把握しており,また井上に行った取材結果も総合してこのように判断したものと思われる。上坂,前掲書・巣鴨プリズン,pp.251-253.38) 野見山剛,「BC級戦犯12人も散骨か/東条元首相ら関与の将校 米軍文書で判明」共同通信社,2021年12月21日配信記事,https://nordot.app/845758059289018368?c=395501877279457292021/12/2139) 中日新聞1996年8月12日夕刊6面。40) Luther Frierson少佐の個人情報は現在調査中である。なお,2021年8月14日放送のTBSテレビ『報道特集』に少佐の令孫が出演されており,令孫も少佐に関する情報を持ち合わせていないとコメントしている。41) ジョン・G・ルース,山田寛訳,日暮吉延監訳『スガモ尋問書』読売新聞社,1995年,口絵p.4.42) A-4③文書には7名の死亡時刻が以下のように記されていた。土肥原賢二:午前0時7分30秒,松井石根:午前0時13分,武藤章:午前0時11分30秒,東条英機:午前0時10分30秒,広田弘毅:午前0時34分30秒,板垣征四郎:午前0時32分30秒,木村兵太郎:午前0時35分43) 読売新聞1948年12月24日朝刊1面。44) 花見達二著『大転秘録』妙義出版株式会社,1957年,p.274.45) このメモ書きの画像は,本稿では掲載していない。46) 詳しくは,戦争犠牲者顕彰会『太平洋戦争殉国七士並に全国殉国者慰霊祭』活英社,1966年,pp.8-9参照されたい。47) 「市川師」とは,久保山火葬場に面する海門山興禅寺の住職である市川伊雄師。48) 前掲,戦争犠牲者顕彰会,p.9.49) この添付文書をBフォルダ内で確認することができなかった。50) 永田,前掲論文,p.1480.51) 刑の執行担当官の氏名について読売新聞1948年12月24日朝刊1面には,推測記事ではあるものの2名の担当官の氏名が掲載されている。この2名の氏名については,B-1文書に記載されている執行担当官4名の氏名と一致しており,本稿ではB-1文書の資料的意義を鑑み,新聞記事に掲載されていないその他2名の執行官の氏名も含めて表示した。52) なお公文書利用サービスに対する配慮は,わが国の国立公文書館においても同じことがいえる。また国会図書館では1978年度よりNARAが所蔵するGHQ関連文書の複写作業を進めており,筆者が直近でNARAに訪問した2019年8月時点でも,関係者による資料の複写(撮影)作業が行われていた。このような国会図書館による複写作業は,占領史研究にとって計り知れない恩恵をもたらしている。53) 詳しくは,砂田,前掲書,pp.82-84.54) 砂田,前掲書,pp.96-97. ─ 43 ─(R 4.2.10受理)

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