生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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護制度に関する調査を進めており,その調査目的で2018年3月に筆者がNARAで行った資料検索の際に,偶然にも第8軍資料のなかからこの7名の遺体の行方を示す記録文書を手にすることができた。この記録文書は当時横浜に進駐していた第8軍需品部(Quartermaster Corp)慰霊部門(Memorial Division)の主任であり,7名の遺体対応を第108墓地登録小隊(the 108th Graves registration platoon)とともに行ったLuther Frierson少佐の報告書(A-5文書)である。少佐の報告書には,7名の遺体受領から太平洋に遺灰が散布されるまでの経緯が時系列で記載されており,内容もSebaldやHagenの証言とほぼ一致していた。さらには遺灰の散布海域として,「横浜の東の太平洋上約30マイルの地点に進み,広範囲に散布した」との情報も記載されていた。この少佐の報告書以外にもNARAに保管されていた第8軍資料には,米極東軍司令部(Far East Command)が作成した刑死者の埋葬方法に関する指示書(本稿では「A-1文書」とする)や,東条ら7名の死亡証明書や遺体の本人確認書なども保存されていた。特に米極東軍司令部の埋葬指示書(A-1文書)には「米陸軍の管理下にある処刑された戦争犯罪人の遺体は,火葬され,その遺灰は海洋で秘密裏に処分される〔第2項〕)」との指示が記されており,7名の遺灰散布措置はこの埋葬指示書に基づいて行われたことが判明した。これまで資料的な裏付けができなかった7名の遺体の行方に関して,このNARA所蔵の第8軍資料は,東京裁判の刑死者処遇を知る上で貴重な資料といえよう。そこで本稿では,これら7名の遺体対応を記録した第8軍資料の原文を紹介し,対日戦犯法廷研究における資料的意義について説明するとともに,併せて横浜法廷関連の刑死者処遇についても論及する。このように本稿で横浜法廷の刑死者処遇を論及する目的は,上述の米極東軍司令部の埋葬指示書(A-1文書)の内容を分析すると,文章中で用いられている「戦争犯罪人」の用語に関して,東京裁判の戦争犯罪人と横浜法廷などの戦争犯罪人との区別が付けられておらず,内容的に横浜法廷やマニラ法廷の刑死者も東京裁判刑の死者と同様に火葬・海上散骨措置とする内容になっているからである。このことから第8軍資料は,東京裁判の刑死者処遇資料ということの他に,横浜法廷などの米軍管轄下で処刑されたBC級戦犯刑死者にも関わる資料ともいえ,本稿ではこのことについての論証も併せて試みたい。本稿で紹介する7名の遺体処遇に関する資料は,現在,メリーランド州カレッジ・パーク(College Park)にあるNARAの新館に保管されていたものである。資料の管理状況は第8軍資料として分類され,図1のようにNARAの保管ボックスにフォルダに収められていた。この保管ボックスの名称及び請求番号は次の通りである6)。・SERIES OR COLLECTION NAME: Records of U. S. Army Operational, Tactical, and Support Organizations (World War II and Thereafter). Eighth Army. Adjutant General Section. Security Classified Occupation Files・BOX TITLE: Eighth U. S. Army, 1944-56 Adjutant General Section・RECORD GROUP NUMBER: 338・ENTRY NUMBER: (A1)136・NATIONAL ARCHIVES IDENTIFIER: -・BOX: 1055・STACK: 290・ROW: 67・COMPARTMENT: 15・SHELF: 4この保管ボックスの請求番号である“RECORD GROUP NUMBER”から,この資料内容は「第2次世界大戦以後の米陸軍第8軍の作戦・戦術・支援組織」に関するもので,本来の資料の所在元が第8軍総務部門であったことが分かる。そしてこの資料の機密解除時期は,1979年と考えられる。その理由として,保管ボックスに印字されているNNDコード(機密指定解除のための公開判定プロジェクト認証番号)が“795005”とあり,NARAのシステム上,このNNDコードの上二桁が“SECRET”解除の年を意味しているからである7)。この保管ボックス内での資料の状況は,図1のように多数のフォルダが収められており,本稿で紹介する刑死─ 2 ─図1 保存ボックスの概況 筆者撮影2.資料の概況

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