生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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件名: 1948年12⽉23⽇における7名の⽇本⼈戦争犯罪⼈の処刑に関する事実の陳述 関係各位 c. 遺体は横臥式の⽊棺に⼊れられた。蓋は本官の監督の下にスガモプリズン分遣隊からの下⼠官 d. 2名将校と16名の武装下⼠官兵がスガモプリズン分遣隊⻑によって、遺体を横浜に護送する e. 護送における運搬⾞と⼈員は以下に⽰す配置であった。 A-5⽂書(和⽂) 1. 分に関する署名者の活動の詳細報告である。 a. 本官は処刑に⽴ち会ったが、第8軍需品部代表として、なおかつ墓地登録将校としてのみ⾏動した。 b. 7⼈の遺体はそれぞれ本官の⽴会いの下で識別され、指紋は本官⾃らWD 書式 1042の2部に採取し、その副本はワシントンD.C.の需品部司令官に送付された。 兵らによって厳重に閉められ、2.5トン輸送トラックに積み込まれた。 ために選抜された。 (1) 先頭⾞両、1/4トントラック、スガモプリズン分遣隊将校1名及び武装下⼠官兵3名。 (2) トラック、2.5トン貨物、処刑された戦犯の遺体7体。 (3) トラック、2.5トン貨物、スガモプリズン分遣隊の武装下⼠官兵12名。 (4) 最後列⾞両トラック1/4トン、スガモプリズンからの将校1名、本官、そしてスガモプリズン分遣隊からの武装下⼠官兵1名。 f. 護送隊は、1948 年 12 ⽉ 23 ⽇ 午前2時10分にスガモプリズン区域を出発し、午前3時40分に第108需品部墓地登録⼩隊の駐屯地に到着した。 軍事郵便局343番、郵便局⻑気付 サンフランシスコ、カリフォルニア 以下は、1948年12⽉23⽇に執⾏された7名の戦争犯罪⼈の処刑及び遺体の最終処極秘 アメリカ陸軍第8軍 需品部本部 40 ─ 35 ─1949年1⽉4⽇

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