生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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ところ,戦犯刑死者の埋葬場所として掘り返した場所は,実は火葬場の共同骨捨場であって,遺族に返還された遺骨が刑死者のものかどうか不確定なことが判明するのである53)(本稿では,東京裁判とBC級戦犯刑死者の遺灰は海洋散布された可能性を指摘した)。1974年に書かれた井上の手記にはこのことの遺族へお詫びと,「遺族の皆様が,伝達の遺骨を霊璽としてお受け取り頂くならばありがたき幸せである」との赦しを求める記述が残されている54)。このように刑死者遺族の戦後は様々な悲境に遭いつつ,さらには遺体・遺骨の行方にも翻弄された年月でもあった。本稿の論考には,遺族にとっては酷な内容が含まれており,遺族の心情を想うと本稿の執筆が幾度も中断を重ねた。とはいえ,NARAで保管されていた東京裁判刑死者の遺体処遇関係資料の重要性は否定しがたく,この資料を紹介することによって,少しでも東京裁判やBC級戦犯の研究に寄与できればという想いで本稿の執筆に取り組んだ次第である。もしご遺族や関係者の方に困惑を招くようなことがあれば,唯々ご寛恕を乞うのみである。本稿はJSPS科研費JP15K02871,JP18K00938の助成による研究成果の一部である。また本稿の調査にあたってはNARAのアーキビストであるEric van Slander氏,共同通信社記者の野見山剛氏,福岡県嘉麻市碓井平和祈念館学芸員の青山英子氏の協力を得た。御礼を申し上げる。─ 14 ─≪謝辞≫

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