生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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は新聞記者をまくためでなく,A-2文書第7項dの「遺体は第108需品部墓地登録小隊が占有する区域に搬送され,処分のための最終準備が行われる間,厳重な警備体制の下に置かれる」という指示に従っていたに過ぎなかったことが読み取れる。4.5.2 遺体輸送と第108墓地登録小隊施設,火葬場内の警備態勢少佐の報告書では遺体搬送の警備態勢や,第108墓地登録小隊施設内及び火葬場内での警備態勢についても報告されており,輸送トラックの重量,台数,乗員配置や,武装した16名の下士官兵が随行したことも記録されている。これはA-1文書第2項で指示する「処刑後,権限のない者による遺体の取り替えや持ち出しを防止する十分な警備措置」を厳格に順守したものといえよう。そのため少佐の報告書には,日本人の動向に関する記述もある。それによると(A-5文書第2項),数名の報道カメラマンがスガモプリズン入口付近にいたこと,東京から横浜の間にも報道関係者と思われる人物が所々にいたこと,火葬場の入口には8名の日本人報道関係者がおり,少佐がこの8名に対して,護送隊のトラックや人員の撮影は認めないと説明すると,彼らはそのまま立ち去ったことが報告されている。なお火葬場内における日本人職員の動向を示す記述は一切なく,火葬炉の操作など施設器機の運用者が日本人であったかについての記述もない。4.5.3 遺灰の処置少佐の報告書によれば火葬後の遺灰は,「窯のなかから遺骨のすべてを取り除いた。遺骨のごく一部の見落としをも防ぐために,特別な注意が払われた(A-5文書第1項k)」とある。そして集めた遺骨は「本官自らが遺骨を別々に骨壺に入れた。骨壺は,通常業務で用いるために第8軍需品部で予め調達していた500個の管理品から用意したものである(A-5文書第1項k)」と,遺灰を骨壺に入れる作業は少佐が自ら行ったことが報告されている。その後の遺灰の行方については,「火葬された遺骨の入った骨壷は,護衛の下に第8軍連絡飛行場に搬送され,第8軍連絡機操縦士の1名が操縦する連絡機に搭載し,本官自身も搭乗した。本官らは横浜の東の太平洋上約30マイルの地点に進み,本官自身が,GHQ・FEC・AG293(48年6月28日),QM-M1948年8月13日の書簡に従って,火葬された遺骨を広範囲に散布した(A-5文書第1項l)」とあり,7名の刑死者の遺灰は太平洋に散布されたことが報告されている。なお少佐が報告する「横浜の東の太平洋上約30マイルの地点(a point approximately 30 miles over the Pacific Ocean east of Yokohama)」であるが,この「30マイル」をメートル換算すると約48キロメートルとなる。少佐が骨壺を携えて飛び立った飛行場を上述の横浜市中区若葉町にあった第8軍専用飛行場と仮定した場合,この飛行場から約48キロメートル地点は図2の緑矢印で示した房総半島の陸地となり,遺灰を「海上に撒いた」とする少佐の報告と矛盾する。加えて米極東軍司令部からは,遺灰は「海上散布」するようA-1文書とA-2文書で指示されていることから,房総半島上空の散布は不自然である。そのため私見では,少佐のいう「横浜の東の太平洋上約30マイルの地点」とは,「横浜の東方に位置する太平洋岸から約30マイルの地点」と読み直して,図2の白矢印で示した海域ではないかと推測する。ところでこのA-5には,第8軍高級副官のJ. W. Donnell大佐が,同軍総務部のT. R. Blackwell大尉に宛てた鉛筆書きのメモが添付されており,そこには“Incorporate these papers in the hq. file & cross index as necessary to assure ready reference. I want these available at any future time to refute any possible claim that one or more of these war Criminals are still alive or that anyone has all or any part of their ashes.(これらの書類を司令部のファイルに入れ,そしてクロスインデックスを付けて,必要に応じてすぐに参照できるようにしておくこと。これらの戦犯の一人または複数がまだ生きているとか,誰かが彼らの遺灰の全部または一部を所持しているといった想定され得る主張を反駁するために,将来いつでもこの書類を利用できるようにしておくことを本官は望む。)” 45)と記されている。このメモから米軍は,A-5文書を単なる「報告書」として保管するだけでなく,東条らの生存説や遺灰の存在説が生起した際の否定証拠として利用しようとした意図が窺われる。その一方で,現在,静岡県熱海市の興亜観音や愛知県─ 11 ─図中の矢印の長さが30mile(約48km)を表す。A-5文書の記述から,白矢印の先端部の周辺に遺灰を散布したと推測される。Googleマップに基づき作成。図2 推測される散布地点

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