生産工学部研究報告B(文系)第55巻
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4.4.1 A-4①文書【英文タイトル】Report of Interment(埋葬報告書)【日付】1948年12月27日付【発信】─【宛先】─【解題】 この書類のフォーマットは,本来は米陸軍需品部の遺体登録用のもので,米兵戦没者遺体の身元を特定するための情報記入欄が両面に印刷されている。表面には米軍兵士らが身に着けている「認識票(ID tag)」の記入欄が,そして裏面には10本の指の全ての指紋を採取する欄や,歯の治療痕を記録するための歯形のイラストも施されている。遺体対応のマニュアル書である前述のA-2文書第7項(本稿4.2参照)では「スガモプリズンから遺体を搬出する前に,氏名,階級,指紋をWD QMC書式1042(正副2通)に記録する」との指示があり,A-4①文書はこの指示に基づいて,米兵戦没者の遺体登録用紙を転用して作成されたと思われる。A-4①文書では7名全員分の書類が作成されており,それぞれの書類の記載内容は本人の名前を除き全て同じ内容であった。参考のために記載欄及びその内容について,氏名欄を除き下記に抜き書きする。≪≫の記述は遺体登録用紙で求められている情報項目で,≪≫の下の記述は実際に記載されていた刑死者の情報である。≪DATE OF REPORT(作成日)≫27 December 1948≪ORGANIZATION(組織)≫Imperial Japanese Government≪RACE(人種)≫Yellow≪IF OTHER THAN U. S. DEAD, GIVE NAME OF COUNTRY(米国以外で死亡した場合,その国名)≫Japan≪PLACE OF DEATH(死亡地)≫Sugamo Prison Tokyo, Japan≪CAUSE OF DEATH(死因)≫Execution by hanging≪DATE OF DEATH(死亡日時)≫23 December 1948≪IF NO TAGS FOUND ON BODY, DESCRIBE MEANS OF IDENTIFIVATION〔If unidentified, ill in section 3 on reverse〕(遺体にタグがない場合,識別のための手段を記述〔未確認の場合,裏面3項に記載〕)≫LEE P. VINCENT, 0-1017867 1st Lt., CMP≪空欄≫Remains disposed of as per 1tr, GHQ, FEC, AG 293 (28 June 48) QM-M, 13 Aug 48, subj: Final Disposition and Policies Governing Burial and Graves Registration of Executed War Criminals(遺体はGHQ,FEC,AG(48年6月28日)QM-M,48年8月13日,件名:処刑された戦争犯罪人の埋葬と墓地の登録に関する最終処分と方針の通り処分を行った。)≪SIGNATURE OF PERSON PREPARING REPORT(報告書作成者の署名)≫Elizabeth W. Perry 自署≪SIGNATURE OF GRS OFFICER VERIFYING REPORT(報告書を検証する墓地登録隊員の署名)≫LUTHER FRIERSON, Major, QMC 自署以上がA-4①文書の表面の記載内容である。なお報告書の検証者として,第8軍需品部慰霊部門の主任Frierson少佐が署名している。裏面には処刑された7名の全指の指紋が採取されている。A-2文書第7項ではスガモプリズンから遺体を搬出する前に,それぞれの指紋を採取するようが指示されていることから,A-4①文書の裏面の指紋は死後に採取されたものと思われる。なお刑死者の指紋資料についてはA-4①文書とは別に,スガモプリズンの管理者側で作成した指紋資料の存在が永田によって確認されている。この指紋資料はスガモプリズンで使用されていた拘禁者用の指紋採取用紙を用いて作成したもので,第8軍の巣鴨プリズン記録(Sugamo Prison Records)資料群のなかに収められている。つまり指紋資料は,刑を執行したスガモプリズン側と,遺体対応をする需品部第108墓地登録小隊側の双方で作成していたことになる。このスガモプリズン側で作成された指紋資料は,現在アメリカにある米憲兵隊博物館にも保管されているようで,John G. Roos氏の著書に,同博物館に展示されている東条の指紋資料画像が掲載されている41)。このように東条ら7名の指紋資料は複数存在しているようである。─ 9 ─

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