日本大学生産工学部研究報告B(文系)第54巻
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( 7 )当てはめると、不幸な淳吉という「小船」が「障り」を乗り越え、しかも本人の改心による「成功を急がず」して勤倹力業の末に、故郷のお葉とともに暮らして幸せを掴む「目的地」に達するストーリーそのものである。そしてその「目的地」に至る過程で公立事業が「救済」役として大きな役割を果たす点が強調され、この経緯が天皇の「御製」に包摂されているのである。映画史研究では、一九三〇年代後半以降制作された戦時下の劇映画や記録映画においては戦事協力のもと、天皇制、国家総動員体制への回収を企図する教化性の強い映画が多いことはよく知られている((注(注。本シナリオ案では、あくまでも公立事業の役割を中心としており、戦争協力の目的による天皇制への国民統合という文脈ではない。とはいえ、映画シナリオ案に天皇制に回収される教化目的の映画は管見の限り戦時期までは存在せず、本映画シナリオ案は公立事業と天皇制を結合した強い教化性を持つ、これまで確認できないタイプの劇映画シナリオ案であったといえる。6.おわりに以上検討してきた点をまとめる。まず、名古屋地方職業紹介事務局では、静岡、岐阜、瀬戸地方の地域産業と公立事業のラジオによる求人開拓や内職紹介などの機能を宣伝する記録映画のシナリオ案を作成した。また、大阪市立職業紹介所では知識階級失業者を扱う俸給生活部が公立事業の多様な機能が多様な求職者を幸福に導くことを強調した劇映画シナリオを、また中部教育映画社がそれに加えて公立事業の利用を天皇制に回収する教化性の強い劇映画シナリオ案をそれぞれ作成していた。今回の検討により、公立事業が製作を企図した映画については、これまで大きな特徴であった工女や出稼ぎ者などの労働者のみならず、地方事務局がその地域の産業を題材とした、記録映画のシナリオ案が初めて確認できた。また、これまでの劇映画シナリオと共通する、勤労を通じて幸福に至る求職者を描いた内容が確認できたと同時に、公立事業の「救済」的役割と天皇制への回収という強い教化性を含む劇映画シナリオ案の存在も初めて明らかにされた。この知見をふまえ、昭和戦前期における公立事業に関する映画製作と活用の全体をまとめると、シナリオ案を含めた記録映画や劇映画には、工女などの労働者や求職者を主人公に据えたものや地域産業を題材に据えたものなどがあり、活用の目的は主に公立事業の宣伝と利用の勧奨であった。このうち劇映画においては、作成者により勤労(「通俗道徳」の実践)、天皇制への回収を含む強い教化の意図も含まれていたこともわかった。そしてこのような映画シナリオ案は、事業の宣伝を役割とする職業紹介事業協会だけでなく、各地の部局によっても製作されており、映画製作と活用の検討は広範囲に及んでいた。ただし結果的には、これらのうち中央職業紹介事務局と職業紹介事業協会による映画化のみが実現され、各地職業紹介所や小学校での映画上映を通じて、目的のごく一部が達成されるに止まった。そして戦時期になると、公立事業は戦時動員機構となり、戦争遂行のために法的根拠を持ちつつ広く利用されていったため、一般的な映画利用を通じた宣伝は必要でなくなり、将来の労働力である児童に対する教化が主眼となっていったのである。未見の映画シナリオ案の検討などについては、史料調査の進展とともに今後の課題としたい。(概要)本研究ノートは、一九三〇年代に名古屋地方職業紹介事務局及び大阪府立職業紹介所が作成した三本の記録映画シナリオ案と二本の劇映画シナリオ案を分析し、その特徴と歴史的役割を解明したものである。失業問題が展開する当該時期において、公立職業紹介事業の拡大と発展が企図される中で製作されたシナリオ案は、公立事業の多様な業務の宣伝と利用者の利益、幸福を指摘する内容であり、地域産業での活用や、求職者に大きく訴求するものであった。同時に、処世訓や天皇の御製を通じて求職者の国民統合を企図したシナリオ案もあり、強い教化性も見られたことを指摘した。※本稿は、JSPS科研費JP26770228「職業紹介行政の展開と総動員体制の構築に関する研究」(二〇一四年四月~二〇一七年三月)およびJSPS科研費JP17K13537「国家総動員体制下における職業紹介事業の研究」(二〇一七年四月~二〇二〇年三月)による研究成果の一部である。

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