日本大学生産工学部研究報告B(文系)第54巻
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( 6 )がっていた。家族を亡くし、お葉以外村には理解者がなく「淳吉は兎も角も浜松の街へ向つて更正への旅立を決し、お葉は遣瀬ない思ひを抱いて暫しの便りを待たねばならなくなつた」。しかし、浜松へ出た淳吉は所持金も尽き、「偶々言葉を交した日傭労働者の源太の肝入りで」職業紹介所に来所し、「鉄橋修理作業」を与えられるが、あまりにも「苦しい試練」であり、空腹に魔が差して民家の台所へ侵入した淳吉は、その家の主であった「職業紹介所員池辺達郎」に引き入れられ、「恰もバルヂャンに対するミリエル僧正のそれのやうに」境遇を問いただされた。職員の池辺は、「何故もう一度今日紹介所へは顔を出さなかつたか!」とし、「紹介所は、あなた達、迷へる羊をどんなにか待つてゐるのに……」と言ひながら、パンフレットによって公立事業の意義を説明した。そのうえで池辺は侵入を不問に付して無料宿泊所を紹介し、翌朝来るように諭したのであった。翌朝、池辺は静岡、豊橋、岡崎、名古屋の各方面を求人を調査、淳吉に名古屋のある「大きな自動自転車の工場」を旅費の補助をつけて紹介した。目でたく工場勤務が決まり、お葉に連絡し、仕事に励む淳吉は、自らの経験を他者らも還元するようになっていく。職工の前田伝七と知り合いになり、前田の子の友一が小学校卒業後下駄屋の見習いをしたがすぐに戻ってきたことを聞くと、職業紹介所の「少年少女紹介」を思い出して紹介、友一はデパートへの住み込みの仕事を得た。紹介所では、会社員風の紳士(「現在失職に悩む会社員皆川祐太郎」)が入り口で逡巡しているのを見て、「紹介所にだつて立派な勤め口は数ある事、新聞広告などに依るよりも総ての点に於て有利で安心である事、男気も臆病もない、平気で依頼する事を紹介所員はどんなにか期待してゐる」と公立事業の利用を勧めた。その後、淳吉は無事に機械工を目指して精進し工場主にも認められたが、ある日無理な縁談を強いられたお葉が出奔したとの知らせを受ける。迎えの日、淳吉は機械で負傷して病院へ担ぎ込まれてしまい、その間駅の雑踏では、「奉公にでも出なすつたのかい?」とお葉に寄って来る怪しい男が、「奉公口ならいヽところがいくらでもあるんだがなあ前借の百や二百の直ぐにも出る…」と恐ろしい誘惑の魔の手を広げ、お葉が断るにもかかわらず、「案内してやろう」と「自動車へ押込む様に乗つけた」。しかし、何とかたどり着いた淳吉と伝七がこれを追いかけてお葉を救出することができた。淳吉は治療のためすぐに入院したが、病院では、偶然にも先日会った皆川が末の子の付き添いで来ていた。そこで皆川はデパートの高級店員になっていたことを報告、「二人は確と手を握り合った。」一方、お葉は職業紹介所から副業の内職をもらい、工場の貧しい一室で淳吉と暮らすこととなった。その後、お葉の父が来訪、二人の姿を見て婚姻を許可することとなり、最後の場面では、淳吉とお葉、甚造がデパートで皆川と友一に案内されて家具類や世帯道具を見て回る姿で終わっている。本シナリオ案の特徴は、④と同様、公立事業の役割と機能が描かれていることである。すなわち、営利事業(「悪桂庵」)と公立事業の対比、そして善意ある公立事業の職員と対応、最後に主人公に加え、周囲の人物も職業紹介所から仕事を得て相継いで幸福になる点である。ただし、本シナリオ案からは、④とはやや異なり、公立事業の「救済」性と天皇制への回収という、教化の意図を読み取ることができる。公立事業の「救済」性は、淳吉が盗みに入った行動が、『レ・ミゼラブル』の主人公であるジャン・バルジャンにたとえられ、公立事業職員の発言にムニエル僧正が引用されていた点に象徴的である。周知のように『レ・ミゼラブル』はヴィクトル・ユーゴーが一八六二年に書いた、ロマン主義フランス文学の大河小説である。一八世紀末から一九世紀初頭の革命期のフランスで、主人公ジャン・バルジャンがフランス革命において活躍する話である。本シナリオ案での場面は原作ではジャン・バルジャンが夜半にミリエル司教の就寝する大会堂で銀の食器を盗んだ後、ミリエル司教はこれを無罪放免したうえ燭台も持たせ、「この銀の器は正直な人間になるために使うのだ((注(注」と約束させる場面になぞらえている。すなわち、「罪人」となった淳吉が紹介所職員という「司教」によって「正直な人」となり「救済」された点が強調されたことで、公立事業職員の「救済」的側面が職員=聖職イメージと重なり、公立事業の「救済」的側面が強調されているのである。そしてこの「救済」を経て得られた「幸福」が導入部分と終結部分に掲載された二つの短歌に回収されている点に、教化の意図が存在している。導入部分の短歌は相互扶助を説くものであり、終結部分の明治天皇の御製は一九〇四(明治三七)年、日露戦争開戦の年に読まれたもので、「蘆の生ひ茂れる間を漕ぎすヽむ小船の如く、あちらこちらに障りはありとも、手にとる棹の長き如く、心を長くもち、成功を急がずして、しかも最後の目的地に達せむとなり((注(注」という意味である。これを本シナリオ案に

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