日本大学生産工学部 研究報告B(文系)第51巻
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( 9 )若手研究B「国家総動員体制下における職業紹介事業の研究」(二〇一七年四月~二〇二〇年三月)による研究成果の一部である。(注)(注1)総力戦に伴う社会変容の研究史は、佐々木啓「総力戦の遂行と日本社会の変容」(『岩波講座 日本歴史第一八巻・近現代4』、岩波書店、二〇一五年所収)、源川真希『日本近代の歴史⑥総力戦のなかの日本政治』(吉川弘文館、二〇一七年)一~一〇頁参照。(注2)拙著『近代都市の下層社会―東京の職業紹介所をめぐる人々』(法政大学出版局、二〇一六年)参照。(注3)加瀬和俊「昭和恐慌後~太平洋戦争末期の職業行政と『職業紹介』・『職業時報』」『月刊職業紹介・職業時報別冊〔解説〕』近現代資料刊行会、二〇〇九年)一六頁。(注4)神林龍『正規の世界・非正規の世界―現代日本労働経済学の基本問題』(慶應義塾大学出版会、二〇一七年)第Ⅰ部参照。(注5)河棕文『戦時労働力政策の展開―動員のロジック、動員機構、労働力需給状況を中心に』(東京大学日本史学研究叢書2、一九九六年)、西成田豊『近代日本労働史―労働力編成の論理と実証』(有斐閣、二〇〇七年)、高岡裕之『総力戦体制と「福祉国家」―戦時期日本の「社会改革」構想』(岩波書店、二〇一一年)、山崎志郎「戦時統制経済」(前掲『岩波講座 日本歴史第一八巻・近現代4』所収)。山崎は「労働市場の統制は新規学卒者の職業紹介においては比較的有効に機能し、重点産業・企業へ誘導できた」としている(一二一頁)。(注6)近年、畠中耕「戦時下新潟県における職業行政―職業保護と労務動員」(『中国四国社会福祉史研究』第一四号、二〇一五年)、小林啓治『総力戦体制の正体』(柏書房、二〇一六年)などが出ている。畠中は社会福祉史の観点から、小林は歴史学の観点から地域行政文書の検討を行った。ただし職紹の具体的な活動についての論究は少ない。(注7)職業紹介行政は、戦前戦後の連続性が高いと指摘されている(竹前栄治『戦後労働改革―GHQ労働政策史』東京大学出版会、一九八二年、三九三~三九四頁)。ただし、各地域や施設の分析はされておらず、実証的な研究が必要とされる。戦前戦後の連続・断絶を巡る議論については前掲(注1)の佐々木・源川著の他、永江雅和「戦時経済から民主化・復興へ」(浜野潔ほか編『日本経済史1600─2015―歴史に読む現代』慶應義塾大学出版会、二〇一七年所収、二六四~二六七頁)など参照。(注8)拙稿「大正時代の公立職業紹介所と地域社会―埼玉県川越市を事例に」(『風俗史学』第五四号、二〇一三年九月)、同上「一九三〇年代における公立職業紹介事業の映画利用」(『メディア史研究』第三六号、二〇一四年)参照。(注9)「序」三~四頁。以下、引用と注釈表記が煩雑になるため、紙幅の都合上項目ごとに注釈を付記した。(注10)石岡学『「教育」としての職業指導の成立―戦前日本の学校と移行問題』(勁草書房、二〇一一年)第三章参照。高瀬雅弘「職業指導所と少年職業紹介所―「スムースな移行」に向けて」(木村元編著『近代日本の人間形成と学校―その系譜をたどる』クレス出版、二〇一三年所収、第Ⅲ部・第四章)参照。小学校でも職業指導が行われ始め、本冊子後半で出てくる身体的特性や知能と適職の図表なども一九二〇年代後半から大日本職業指導協会や各種教育委員会、職紹が教師用・教授用として編纂した専門書などに記載され、現場で利用されていた。(注11)内藤寛一『戦時経済と労務統制』(東亜経済社、一九四二年)三四三頁。(注12)前掲加瀬論文、二〇~二一頁。総動員計画は企画院を中心に作成した国家総動員計画の一部として年度ごとに作成され、決定された労働者需給計画は厚生省におろされ、具体的な実施方式を定めて職紹に通知、それに従い業務が遂行された。一九三九年度は約一一〇万人、四〇年度は約一四七万人が指示された。(注13)前掲河著、一六三頁。(注14)前掲内藤著、三四六~三四七頁。この直後職業相談の不十分さと求人内容の周知宣伝の不徹底などに対して就職者数が減少したため、割り当ての絶対充足と再詮衡実施が、厚生省職業部長から北海道庁長官・各府県知事に対して職発第五四号「小学校卒業者ノ職業指導竝ニ職業紹介ニ関スル件」にて通達
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