─ 2 ─change)を捉えてきた。都市的土地被覆は1972年当時,20km圏内に凝縮され,住宅開発可能地はその外側の広範囲に分布していた。過度の一極集中化により当初の構想・計画から次第に乖離し,都市化の歪が顕著化したところに様々な災害の多発するような時期(受災期)に陥った。大震災等の直後には多くの機関で詳細な調査がなされた。その一方で,立ち入りが制限される地域があり,調査を困難にしていることも指摘されている1)。防災分野における減災の基本は時代を遡り,土地被覆の改変前後の地表面につき,同一規格で全体像を把握し,被害が生じた地域と同様な特徴を示す地域を抽出した上で次の震災への対策を講ずることが有用と思われる。衛星画像はもとより,最近では多種の国土情報(新旧地理空間情報)が整備されてきている2)。明治前期(1880年代)に作成され,都市化以前の土地被覆が表現されている迅速測図(Quick Map)もその一つである。衛星画像のみならず迅速測図等の新旧地理空間情報との空間分析では,単なる土地被覆変化ではなく,被覆の変容もしくは変質といった土地被覆改変(Land cover alteration)を捉えることができる。本稿は時系列および種類の異なるデータを統合し,構築したデータセットを解析することにより,広域首都圏の土地被覆改変の特徴と推移を考察する3)4)。さらに,土地被覆改変がもたらす災害発生予想域を例に,減災分野への利用の可能性についても言及するものである5)。2.対象地域と周辺の地勢関東甲信の基盤では複数のプレートが鬩ぎ合っている。これはフィリピン海プレートの圧力による本州中央部がハの字に折れ曲がった構造,中央構造線の屈折や元来の延伸,駿河・相模,富山の各湾形が形造る急峻な山岳等に現われている。東京主要部はこれら三角形状のフラクタルをなす構造帯域の縁辺に位置する(Fig. 1のTest Site 1)。かつて武蔵野台地は関東ローム層に覆われた樹林地であった。東京湾岸から北方の中川低地等は主に縄文海進期,内陸に入り込んだ海域であり,その後退と土砂の堆積により,東京湾へと流れていた利根川等の下流域に生じた沖積平野である(Fig. 1のTest Site 2)。衛星画像やDEM(数値標高データ)では都心から70km圏(140km×140kmの領域)を,迅速測図では平野部(Fig. 1のTest Site 2)の範域となる首都圏に着目した。また,首都圏は近傍で複数のプレートが鬩ぎ合う特殊な地域に位置するため,衛星画像等の判読に際しては,その周辺地域(Fig. 1のTest Site 1)の自然的素因をも考慮することとした。3.使用データと研究方法3.1 新旧地理空間情報の統合長期の土地被覆改変の解析にあたり,1)迅速測図,2)DEM画像,3)多時期の衛星画像等の新旧地理空間情報を取り扱う。迅速測図やDEMから得られる湿地や標高などの自然的災害素因(natural disaster predisposition)を基礎に,衛星画像から得られる都市的土地被覆などの社会的災害素因(social disaster predisposition)につき緯度経度座標をベースとしたGISレイヤーに登録し統合した(Fig. 2)5)6)。1)迅速測図迅速測図は明治前期(1880年代)に大日本帝國陸地測量部により作成され,開発前の地表が表現されている貴重な情報源で首都圏,近畿圏,中京圏で整備された7)~10)。紙地図でも市販され,製作年度は一様ではないが,経線・緯線で区画されている。Fig. 3はこの位置情報を基に緯度経度座標系に位置合わせし,迅速測図に表現されている項目を判読した京浜地域の臨海部である。Fig. 1 Image showing geological feature of Kanto and Koshin areas with two Test Sites.Fig. 2 Sample layers of dataset compilation.
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