日本大学生産工学部研究報告B(文系)第53巻
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─ 6 ─廷写真集にはそのうちの19件分の写真が確認された。ただし収録写真のほとんどが山下奉文大将と本間雅晴中将の審理に関するものである。内訳は山下関連の写真が171枚,本間関連の写真が75枚で,両者の関連写真だけで全体の約75%を占め,非常に偏った収録構成となっている。ただしその一方で,両事件の撮影内容は多彩を極め,審理中の様子はもちろんのこと,山下が休憩中に喫煙・談笑している写真や,本間が夫人の人格証言に涙する写真など,非常に興味深い写真が多数含まれている。また,山下・本間自身の写真以外にも,両名の審理に参加した検察官や弁護人らの様子を撮影した写真,あるいはマニラ市街戦の惨状を証言する一般市民の写真などもあり,マニラ法廷の運営状況や雰囲気を知ることのできる内容となっている。このように山下・本間関連の法廷写真の充実度は,他のBC級戦犯法廷や東京裁判の東条元首相の写真と比べても群を抜いている。これは山下と本間の知名度も然ることながら,彼らの審理が戦闘の記憶も覚め止まぬ時期に行われたことが大きいと思われる(山下の審理は1945年10月6日から12月7日まで,本間の審理は1946年1月3日から1946年2月11日)。このことは横浜法廷関連写真にも同じことがいえ,1945年12月18日から審理の始まった横浜法廷の第1号事件(横浜法廷1号事件/ Case No.1)関連の写真は,被告人の職位階級が捕虜収容所の管理を行う軍属(予備伍長)だったにも拘わらず,横浜法廷関連写真の全700枚うち35枚を数え,同法廷では最も多い枚数となっている。4番目に多かったのがグアム法廷関連の写真で,法廷写真集に20枚が収録されている。日本政府側の資料では29件15)の事件審理が記録されているが,各写真のキャプションから,そのうちの4件の事件審理であることが判明した。写真には旧日本海軍の将官や元通訳などの被告人の様子が写されている。最後の丸の内法廷関連の写真は,法廷写真中のうち最も少ない15枚となる。この丸の内法廷とは,東京裁判に起訴されなかったA級戦犯容疑者を審理する法廷で,開廷期間は1948年10月から1949年9月6日である。当初は東京裁判と同じようなスタイルの審理が予定されていたが,米ソの対立の煽りを受けて,GHQ主導の審理に変えられている。そのため丸の内法廷は,東京裁判のような国際法廷ではないが,横浜法廷とも異なるという,第三の戦犯法廷として位置付けられており,「準A級戦犯法廷」と呼ばれている16)。またこの法廷が東京丸の内と青山で行われたことから,「丸の内法廷」あるいは「青山法廷」という名称もあり,本稿では一般的に使用されている「丸の内法廷」の名称を用いている。この丸の内法廷では,連合艦隊司令長官や軍令部総長を務めた豊田副武海軍大将と,戦争末期に俘虜情報局長官にあった田村浩陸軍中将の2名が起訴され,法廷写真集にはこの2名の肖像を撮影した写真の他に,傍聴席の親族の様子や17),豊田の弁護人で,東京裁判でも被告弁護人を務めたベン・ブルース・ブレイクニー(Ben Bruce Blakeney)の写真も綴じられていた18)。このように丸の内裁判に起訴された人物はA級に準ずる者であったが,写真枚数は横浜法廷と比べて激減している。その背景としては,時間的経過に伴う戦犯裁判への関心度の低下が要因ではないかと考えられる。なお,NARAの法廷写真集には戦犯法廷とは関係のない写真も含まれており,例えば嬰児大量殺人事件として世上を震撼させた寿産院事件の法廷写真(東京地方裁判所)19)や,渋谷駅周辺の乱闘事件を審理する軍事法廷の写真などがあった20)。なぜ,これらの写真が綴じられたのか,その理由は分からないが,何れも裁判に関する共通項があるところが興味深い。3.写真集から読み解く横浜法廷対日戦争犯罪法廷のうち本稿で紹介する横浜法廷は,アメリカ第8軍司令部の管理の下,1945年12月18日から1949年10月19日の約4年間を開廷期間とするBC級戦犯法廷のことをいい,審理は米軍が接収した横浜地方裁判所で行われている。この横浜法廷での審理件数は,豊田隈雄氏ら復員庁第二復員局調査部や法務省司法法制調査部の調査によると327件で,被告人は1,037名とされる21)。うち123名に対して死刑宣告が下され,その他の有罪宣告者が790名,無罪宣告者が150名,不詳が44名となっている。なお,死刑宣告者のうち,後の再審査で減刑された者もおり,実際に処刑された者は53名とされる。また最近では,林氏による米軍側資料から算出した数字もあり,それによると被告人996名のうち,死刑宣告者124名(処刑者51名),有罪者854名,無罪者142名とする調査報告もある22)。なお,本稿ではこの横浜法廷の基礎データについて,豊田氏らによる法務省のデータに依拠する。横浜法廷の写真資料としては,先述の通りNARAが保管する法廷写真集に700枚が収録されている。撮影対象となった事件は,横浜法廷で審理された全327件のうち,約半数にあたる156件となる。このうち撮影枚数の最も多い事件は,1945年12月18日より始まった第1号事件(横浜法廷1号事件/ Case No.1)で35枚を数える。この枚数の多さは,日本国内での最初の戦犯審理であり,なおかつ戦争終結から間もないという時期的要因が影響したと思われる。そのため撮影内容も詳細で,審理の様子も然ることながら,軍事委員(一般法廷の裁判官にあたる)や弁護団の集合写真,被告人に関しては法廷での弁護人との打ち合わせや,休憩中の様子を写し

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