日本大学生産工学部研究報告B(文系)第53巻
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─ 12 ─持ち続け,施灸は医療目的というよりは,懲罰目的であったとする認識でほぼ一貫していた。実際,灸を捕虜に対して懲罰的に用いた実例はあり,上記第3号事件の証言に立った大阪俘虜収容所本所長は,被告人の収容所で灸を懲罰目的で用いたことを耳にし,関係者に謹慎7日間を命じたことを証言している48)。BC級戦犯における灸と捕虜虐待の問題は,従来,施灸は極度の医薬品不足による応急装置であって,それを捕虜虐待として責任追及するのは,文化的な偏見がもたらした悲劇的ケースの典型例として見る向きもある。しかしながら灸を懲罰目的で用いていたのならば,その認識は新たにする必要性がでてこよう。何れにしても図11,図12の2枚の写真を比較することによって,これらの写真は自国の習俗を異文化人に伝えることの難しさを物語る写真であり,グローバル化する現代社会においても興味深い写真といえる。そして横浜法廷の弁護活動の視点から見た場合,この写真は弁護側が被告人にとって少しでも有利な立証を試みようとする,その苦心の跡が窺われる貴重な写真資料といえる。4.おわりに以上のようにNARAが所蔵するSC撮影の法廷写真とそのキャプションは,研究上の観点からも非常に興味深い情報をもたらしている。特にキャプションはその信頼度に一部問題もあるものの,他の文書資料との検証を重ねることにより資料的価値を一層高めるものと思われる。本稿ではその例証及び考察を試みた。また撮影内容の方も貴重な場面を写し出したものもあり,なかには写真資料としての域を超えたものもあった。具体的には絞首刑宣告を受けた被告人の写真であり,その写真が生前最後の写真となっているからである。NARAの法廷写真集には,今回紹介できなかったこの種の写真が多数あり,現在,筆者の方で,キャプションに記載されている氏名に基づき,収録写真の事件及び被写人物のリスト制作を進めている。出来得るならば,関係者のプライバシーを侵害しない範囲内で,収録写真リストをこの分野の参考資料として供したい。またこのBC級戦犯法廷は,ドイツ・ニュルンベルク裁判や東京裁判程ではないものの,法廷での審理過程で形成された刑罰論や責任論は,現在の国際戦争裁判所の審理にも少なからぬ影響を及ぼしている。そのためBC級戦犯法廷に関しては,その法制度や組織構成,さらには審理過程の調査・研究が要されるが,東京裁判と比べるとそのレベルは十分な域に達していない。特に第二次世界大戦の終結から75年以上を経過するなかで,当時の軍事法廷関係者の証言が得にくくなり,さらには関係者が所有していた資料の散逸も懸念されるなど,このテーマへの取り組みは時間的にも急がれる。その意味ではNARA所蔵の写真資料は文書資料を補強し得る貴重な歴史的資料であり,なおかつBC級戦犯法廷を語る視覚的証言物であることから,法廷写真集の収録リストの作成を行い,横浜法廷を初めとするBC級戦犯法廷研究の参考資料として役立てたいと考えている。【謝辞】本研究はJSPS科研費 JP15K02871の助成を受けたものである。またNARAでの調査では,当館のアーキビストであるEric Van Slander氏と,フリーランス・リサーチャーとして活躍されている柳原緑氏から多大な調査協力と助言を頂いた。心より御礼を申し上げる。≪注記≫注1)NARAが保管するGHQ関連資料は,その多くが日本の国立国会図書館でその複写物を閲覧することができる。国会図書館では1978年度よりNARAにスタッフを派遣して貴重なGHQ関連文書の複写作業を進めており,現在もその作業は継続している。国会図書館による複写作業は占領史研究にとって図りしえない恩恵をもたらしている。注2)NARAは複数の施設から成っており,ワシントンD. C.にある本館と,メリーランド州カレッジ・パークの新館(The National Archives at Collage Park)があり,本稿で紹介する写真集は新館に保管されている。注3)本稿で紹介する事件関係者のうち元被告人のプライバシーを尊重し,氏名表示及び本人を特定できる肖像等の公表は原則として行わない。そのため元被告人が写る写真資料を本稿で取り上げる際については一部加工を施すものとする。ただしA級戦犯等の歴史的人物,並びにBC級戦犯関連のうち本人が手記等で事実関係系を公表している場合,あるいは研究や報道等で元被告人の氏名や事実関係等が公表されている場合はこの限りではない。注4)横浜法廷で審理された各事件には書類整理用の事件番号が付されており,本稿でもその事件番号を注記で記載する。ただしこの事件番号は同一事件であるにも拘わらず,NARAと日本の公文書館側とで異なっているケースもある。そのため本稿では,事件の整理番号を記載する場合,日本の公文書館とNARAの両方の事件番号を併記することとする。注5)当初,横浜法廷に出廷する男性被告人の服装は軍服・国民服・背広などの多種多様な姿であったが,ある被告人の手記によると「持っていた服を皆とり

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