日本大学生産工学部研究報告B(文系)第53巻
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─ 11 ─「燃焼中の物質によって捕虜の身体に残虐なる火傷を負わせた(by cruelly burning him on the body with an ignited substance)」と記されている。そこで弁護側は,施灸が虐待行為ではなく医療行為の一環であることを主張するため,元陸軍軍医中将の伊吹月雄を証人に立たせており,NARAの画像資料にはこの時の様子が残されている(図11)。しかしながら軍事委員の理解は得られなかったようで,この第3号事件の被告人は有罪とし,終身刑宣告が下されている。この厳しい結果を受けて第一復員省では,灸の医学的効能を実証するための資料収集を開始し,原志免太郎なる人物が九州帝大で灸の研究を行っていたとする情報を得て,第3号事件が終了してから4日後の1946年1月15日付で,原に灸の科学的説明書の提供を求める依頼書を九州帝大を通して送付している。現在その依頼書が日本の国立公文書館所蔵文書資料に残されている44)。ただしこの依頼は不調だったらしく,第一復員省の横浜出張所の2月1日付の日誌によると「原博士ハ九大医学部ニ居ラレタル由ナルモ,先般次官ノ名ニ於テ問合セタルニ,其人ナク所在不明,文部省ニ捜査ヲ依頼セルモ不明ナリ。医務局へ連絡ノ要アリ」45)と,連絡がつかなかったようである。その後,原からの灸の資料提出があったかは現在調査中である。NARAの法廷写真集に綴じられているもう1枚の施灸関連事件の写真が,図12の第27号事件(横浜法廷第27号事件/ Case No.27)のものである。第27号事件は大阪方面の捕虜収容所の衛生兵が捕虜虐待で起訴されたケースで,1946年4月30日に30年の重労働刑の宣告が下されている。この事件の被告人の場合,起訴内容には施灸行為は含まれていないが,収容所の衛生兵であった被告人は,時折,捕虜らに灸の施療を行っていたようで,軍事委員の心象上,この行為が被告人の不利益材料になるリスクがあった。そのため弁護側は,この事件でも灸が医療行為の一環であったことを証明すべく,彼らが法廷で試みたのが,軍事委員を前にしての灸の実演であった。その様子を捉えたのが図12の写真で,キャプションには通訳のRichard M. Teragawaに対して日本人医師が施灸をしていることが記されている。残念ながら日本人医師の氏名については明記されておらず,この事件に関する米軍側の法廷速記録も入手できていない。日本の国立公文書館には,第27号事件に関する傍聴メモが残されていたが,そこにはこの医師の氏名が記されていたものの,情報公開法の関係で該当箇所が塗りつぶされていた。ただしこの傍聴メモには,この医師が人定質問の際で説明した自身の経歴を書き留めており,1920年に長崎医学専門学校を卒業し,ベルリン大学で東洋医学と漢方医学の講義をもち,アメリカでは講演も行った人物とされている46)。この人物が上述の原志免太郎氏かは分からないが,ともかくこの第27号事件は灸の医療的意義について,目に見える形で立証しようとした,弁護側の苦心の跡が窺われる例証として興味深い。とはいえこの時の灸の実演は,弁護側が期待するような軍事委員たちの反応は得られなかったようである。第27号事件の傍聴メモによれば,施灸の実演を行った後に,軍事委員の1人が「軍隊ノ一上等兵ガ処罰トシテ灸点ヲ他ノ者ニ試ミルモ,差支ナキヤ」と実演医師に質問をしたと記録されており47),軍事委員たちの灸を懲罰的行為とする見方はなかなか払拭できなかったようである注29)。このように軍事委員は灸の医学的効果に対する疑念を図11 証言台の伊吹月雄元陸軍軍医中将The National Archives at College Park所蔵画像(画像請求番号:111-SCA/ 5588/ #4/ SC228520)。一部加工修正。奥に第3号事件の被告人と,日本人弁護人である中村弘弁護士(横浜弁護士会)が着座。中村弁護士はこの審理の後,体調を崩し急逝する。図12 法廷で実演された灸The National Archives at College Park所蔵画像(画像請求番号:111-SCA/ 5588/ #4/ SC244495)。キャプションによると1946年4月27日の審理で法廷通訳のRichard M. Teragawa氏をモデルにして灸の実演が行われた際の様子を撮影した写真。施灸者の左側の人物はキャプションに氏名の記載はないが,他の法廷資料から大類武雄弁護士(横浜弁護士会)の可能性が高い。

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