日本大学生産工学部研究報告B(文系)第53巻
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─ 9 ─ている。このように横浜法廷における日本人弁護人の活動は脇役的なもので,第1号事件の渡辺弁護士も基本的には同様の立場にあった。その意味では,図8の写真の渡辺弁護士のように日本人弁護人が日本語で陳述するのは珍しいことであり,これが認められたのも,第1号事件の審理が手探り状態のなかで始まったからと推測している。しかしながら日本語による陳述は法廷通訳を介する時間的ロスや誤訳の問題もあって,第4号事件(横浜法廷4号事件/ Case No.4)の日本人弁護人を務めた高橋潔弁護士(第一東京弁護士会,後に最高裁判事)は「日本人弁護人ハ自ら弁論スルヨリ寧ロ自己ノ意見ヲ米国弁護人ニ告ゲテ同人ニ陳述セシムル事ヲ可トスル」34)との意見書を第一復員省の担当官に提出し,横浜法廷の多くの審理ではこの高橋弁護士の意見書のスタイルが主流となる。その意味ではNARAに保管されている渡辺弁護士の写る写真は,横浜法廷における日本人弁護人の様子を視覚的に見ることのできる貴重な資料といえよう。3.3 第2号事件の被告人自身による弁護活動第2号事件(横浜法廷2号事件/ Case No.2)は横浜法廷関連事件における著名な事件の1つで,同法廷で最初に絞首刑が宣告された事件として知られている(1946年1月7日宣告,1946年4月26日執行)。この事件の被告人である由利敬陸軍中尉は福岡県大牟田にあった福岡俘虜収容所第17分所所長で,所内で発生した2件の捕虜死亡事件の責任が問われたものである。この第2号事件の法学上の興味深い点としては2つあり,1つが①由利被告人が日本人弁護人の選任を断り,アメリカ人弁護人だけで法廷に臨んだこと,もう1つが②検察側証人として,由利被告人にとって不利な証言をしたかつての部下に対して,被告人自らが直接尋問を行ったことである。まず①の由利被告人の日本人弁護人の選任問題であるが,当初,終戦連絡横浜事務局や,第一復員省法務調査部の斡旋で,横浜弁護士会の浅沢直人弁護士が日本人弁護人として内定していた。ところが浅沢弁護士によると注22)「私が担当した戦犯第二号は由利という中尉でしたが,その人は日本人弁護人の弁護は受けないと言って断ってきた。それで私は,米国の弁護人と説得のため,二,三回刑務所に通ったけれど結局聞き入れないで,実際には弁護に立たなかったんです。この人は死刑になりました」35)と,由利被告人が日本人弁護人の選任を拒否したことを証言している。由利被告人がなぜ拒否をしたのか,その理由はよく分かっていないが,この事件の取材を行った上坂冬子氏によれば,被告人がアメリカ人弁護人に全幅の信頼を置いていたからという推測をされている36)。また,由利被告人と旧知の仲であった桃井銈次弁護士の興味深い証言もある。桃井弁護士も被告人たちの支援に尽力した人物で,彼によると「由利という人は,僕は俘虜情報局にいて終戦直後俘虜解放に行った時福岡で会って,一杯御馳走になったりしてよく知っていたんだ。あれは柵外に逃走した俘虜を殺害したんですよ。自分ですっかり覚悟しちゃって,随分よく話したんだけれどもどうしても受けないというんでね」37)と,由利被告人が諦念ともいうべき境地にあったことを証言している。このような桃井弁護士の証言から,私見では,由利被告人は捕虜の死亡事故に相当の責任感を抱き,弁護人はアメリカ側の弁護士だけで十分で,これ以上他人に迷惑を掛けたくないという一心から,日本人弁護人の選任を断ったと推測している。なお,この事件の識者の間では,由利被告人が日本人弁護人を拒否した際に,極刑を覚悟しての拒否だったのかについては見解が分かれており,山下郁夫氏は覚悟していた可能性を38),川崎義裕氏は覚悟していなかった可能性を指摘している39)。何れにしても由利被告人は,死亡事故に対する責任感を以て,米弁護人への全幅の信頼を寄せて法廷に臨んだことには間違いないようである。ただし由利被告人は,米弁護人に頼りきるばかりではなかった。NARA所蔵の法廷写真集には,由利被告人自らが軍事委員の前に立って,検察側証人に対して反対尋問を試みている写真が綴じられている。それが図9のものである。アメリカ側の法廷速記録によると,この写真が撮影されたのは1946年1月5日注23)の午後とある。そして速記録には,なぜこのような事態に至ったかの経緯も記されており,それによると,写真の検察側証人は由利被告人の元部下(収容所通訳)で,この証人が検察官の質問に対し,収容所内で発生した2件の捕虜死亡事故はすべて由利に起因すると証言したため,これに納得できなかった由利被告人が米弁護人を介して,軍事委員を前に反対尋問を試みた図8 証人尋問中の渡辺治湟弁護士The National Archives at College Park所蔵画像(画像請求番号:111-SCA/ 5588/ #4/ SC229400)画像一部修正。写真右側のスーツ姿の人物が渡辺弁護士。写真左側に座る証人(後に別の戦犯事件で起訴・有罪)に尋問を行っている。

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