日本大学生産工学部 研究報告A(理工系)第52巻第1号
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─ 2 ─当然大量のデータを蓄積し,統計誤差を小さくしていくことになるが,一方で,系統誤差も小さくしていく必要がある。現在,系統誤差のうち,最も大きいものは,ニュートリノ・原子核反応の断面積である。通常の検出器では低エネルギー陽子の検出が難しいため反応過程が分離できず,ニュートリノエネルギーの再構成に誤差が生じる。その結果,ニュートリノ振動の確率や振動パラメーターの決定に誤差が生じてしまう。そこで,空間分解能に優れ,低エネルギー陽子の検出も可能な原子核乾板検出器を用いた実験が計画された。これは,当初テスト実験としてJ-PARC(Japan Proton Accelerator Research Complex)からT60実験3),4)という名称で承認され,その後本格的に採択され,現在ではNINJA (Neutrino Interaction research with Nuclear emulsion and J-PARC Accelerator) 実験と呼んでいる。この実験には日本大学(生産工学部),東邦大学,名古屋大学,神戸大学,京都大学,東京大学が参加している5),6)。NINJA実験は,ニュートリノ振動の研究が進む最先端のJ-PARCニュートリノビームにおいて重要な1GeV領域のニュートリノ・原子核反応の精密測定を目的とする。OPERA実験で成功し,成果を挙げた原子核乾板と金属板を交互に積層した標的兼検出器を用いる。金属板を厚さ0.5mmの鉄板とし,感度の高い新型原子核乾板を用いると,ニュートリノ反応から放出された陽子飛跡の観測閾値を,運動エネルギーにして約20MeV程度にまで下げることができる。一方,今までのT2K前置検出器の陽子飛跡観測閾値は175MeV程度で,その違いは大きく,複雑な反応過程の分離やそれらの反応断面積の精密測定が期待される7)。尚,本論文は,2018年に研究報告A(理工系)に掲載された研究ノート8)の内容を発展させたものであり,日大生産工学部に現像室を立ち上げ,その現像室でNINJA実験に適応した乾板を大量に処理し,その結果を解析したものである。この成功により当学部がNINJA実験他の原子核乾板を用いた素粒子実験に大きく貢献できるようになった。2.原子核乾板検出器2.1 原子核乾板原子核乾板とは,荷電粒子(電荷をもった粒子)に感度がある銀塩写真感光材料であり(Fig.1),素粒子の飛跡を検出するための装置として素粒子物理学では古くから活用されてきて,後述する特徴によりこれまで多くの新粒子の発見に寄与してきた9)。原子核乾板にはその用途により,さまざまな種類があるが,プラスチックフィルムをベースとしてその両面に原子核乳剤を塗布したものが一般的である。フィルムの大きさも,その用途によりさまざまなものが製作可能である。乳剤の組成も,使用目的により調製が可能である。一般的に原子核乾板の乳剤は普通の写真フィルムの乳剤と比べると厚みがあり,ハロゲン化銀含有量が多い。多いものを高銀,そこから少なくなるに伴い中銀,低銀等と呼ばれている。この乳剤層に荷電粒子が通過すると,その飛跡に沿ってハロゲン化銀結晶中に潜像核という非常に小さな銀の塊ができ,現像液に浸す現像処理により潜像核が触媒となってハロゲン化銀粒子全体が還元されて,大きな銀の塊となり可視化される。このため,光学顕微鏡で素粒子の飛跡を観測できるようになる。実際の作業としては,現像液に浸した後,停止液に浸し現像過程を停止させ,定着液に浸し銀にならなかったハロゲン化銀を除去する定着処理を施し,最後に流水に浸して薬液を洗い流す,といった一連の化学処理を行い,その後乾燥し乾板として使用する。必要に応じて更に膨潤作業へと進む。尚,原子核乾板には,電荷のない中性粒子の飛跡は記録されない。原子核乾板の際立った特徴は,1μm以下の解像度で三次元的に素粒子の飛跡を捉えられるという点であり,これは他の飛跡検出器を寄せ付けない10)−12)。原子核乾板はこれまでに,飛跡の観測により,直接には目で見ることのできない素粒子のさまざまな特性を顕わにしてきた。過去,飛跡の検出は,顕微鏡での測定に時間がかかり,解析全体の時間を多く費やす作業であったが,近年の飛跡認識技術の進歩により,全自動飛跡読み取り装置が開発され,その測定時間については大幅な改善がなされた13),14)。この原子核乾板は,光にさらされると簡単に感光してしまう。現像前の原子核乾板を扱うには,暗室での作業が必須となるが,そこには通常の写真フィルムとは異なる注意も必要となる。原子核乾板は写真フィルムと比べて,乳剤層が厚く,粒子の飛跡を検出するためには歪みを極力抑えて均一に現像する必要がある。また,1枚のサイズが大きいのでそのハンドリングにも注意が必要である。Fig.1 A nuclear emulsion lm after development8).

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